ゆめのくに

今は平成仮面ライダー記

繋ぐディケイドとhulu解約の話

まず最初に前回の記事をあっさりと翻しますが、hulu解約します。
そして代わりにAmazonプライムに契約します!

 

理由は

仮面ライダー関連のラインナップがhuluより良い(劇場版が豊富に収録)

②プライム(年3000円くらい)のほうが月額1000円のhuluよりコスパが良い

の二つです。ということで、huluでなく今はAmazonプライムビデオで色々見ています。おかげで電王の劇場版がさらば電王以外はいつでも見られる身体になった。

 

今までhuluは個人的に好きなラインナップが多かったし、月額1000円自体が高いとは全く思わない満足度なんですが、とはいえ仮面ライダーを真剣に追うなら劇場版は必須事項なので、その点Amazonプライムはちょうどよかったわけです。

今までdTVも登録していたことがあるんですが(狩野英孝のホラー目当て)、dTVは画質があんまり良くなかった印象なんですよね……

私は基本的にPCからHDMIケーブルでテレビに出力して楽しむタイプなので、ある程度画質が良くないと辛い。

Amazonプライムそのものの感想もいつか書きたいなと思うけど、まぁもうちょっと使って色々違いが分かったら。あと有名所ってなんだろう、Netflixとか?いずれ使うときがきたら比較記事とか書きたいけどな。

 

ということで続きから今回は仮面ライダーディケイドの話です。

テレビ本編と劇場版二作『オールライダー対大ショッカー』『W&ディケイド MOVIE大戦2010』も見たのでそちらの感想もまとめました。

ただ、前回と違って今回に関しては色々とワケがわかっていないので、間違った解釈 or 混乱したまま答えが出ていない文章 が大量に見られると考えられます。

てか誰か解説して~~!!!わからないよ~~~!!!

 あらすじ

西暦2009年。光夏海は無数の仮面ライダーが「1人の標的=ディケイド」に総攻撃を仕掛けて全滅するという夢を繰り返し見てはうなされていた。現実に戻れば家業の「光写真館」に居候している青年・門矢士がきちんと写真を撮らないと客から苦情を受け、謝罪と士への説教をする毎日。

ある日、突如世界のあちこちで謎のオーロラと共に無数の怪人が現れ、人々を襲い始める。夏海と離れ離れになった士は謎の青年・紅渡と接触し、自分がディケイドと呼ばれる仮面ライダーであることを知らされる。夏海と合流した士は、彼女が見つけたバックルで仮面ライダーディケイドに変身して怪人たちを倒すが、世界の崩壊は止まらない。

士は再び現れた渡により、それぞれの仮面ライダーが戦う9つの平行世界が1つに融合し、最終的に崩壊しようとしているということ、そして士は九つの世界を旅してそれを防ぐ使命を課せられた存在だということを告げ

られる。こうして士は自分の写せる世界を探すために、夏海は夢で見たディケイドへの不安から、異世界への旅に出ることを決意する。

 

仮面ライダーディケイド - Wikipedia

 

 全31話と他のシリーズより話数が少ない『仮面ライダーディケイド』は、平成仮面ライダー十周年記念企画としてプロジェクトされ放映されました。

電王に関しては見ていた記憶がまったくないのですが、ディケイドは多分中学三年生?高一?くらいのときがリアルタイム放映時で、なぜか父が毎朝これを見ていた記憶も、最終回をBPOと共に怒っていた記憶もあるんですよね……

参考:苦情殺到の『仮面ライダー ディケイド』「続きは映画で!?」の真相を直撃! - エキサイトニュース(1/4)

 

とはいえ話自体は全く覚えてないまっさらで、強いて言うなら電王とのコラボ作での情報程度しかない感じで視聴開始しました。

その結果未だによく中身が分かっていないという感じで今回ブログ記事を書いているのですが、この記事は何らかのオチがつけられるといいんですけど……

まぁディケイドを扱う記事だからそこは大丈夫かな!?

 

ということで感想をまとめようと思ったんですが、今作は前回の電王のようにTV版、劇場版でそれぞれが完結しているものではないので、ひとまとめに色々書いてしまおうかと思います。

 

感じたこと

あらすじの通り、9つの仮面ライダーの世界を主人公である士がディケイドとして旅していく、クロスオーバー的なシリーズでした。まぁ結局世界は無数にあったんですけど。

正直言うと最初の一話を見ている段階での不安感がはんぱなかったです。

理由はというと、兎にも角にも展開が早い。そして理解するより先にどんどん展開が進んでいく。まぁなんせ一話のラストにはもう別の世界(クウガ)に行かなければならないわけなので超絶急ピッチで話が進んでいく。ついていけるのか、この速度……と思わず不安になるライダー新入生の私……

 

フィクションにおいては登場人物の理解力というものは低いものですよね。

例えば、世界に異常があってもキャラたちは異変に気づかなかったり、そんなものあり得ないと切り捨てたりするが、視聴者側は最初からそれが本当だと分かっている。それは視聴者側からすれば「この世界はフィクションです」と分かっているからこその柔軟さなわけですが、フィクション世界に生きるキャラクターたちにとってはこれが現実なわけなので、そんな風にすぐに理解できるわけがない、という前提が書き手側にも読み手側にもあるからです。

でも、ディケイドは違います。一話の段階でどんどん話が進むし、キャラクターたちの「世界理解力」カンストしてます(見てる私のほうが戸惑うレベルで)。

そんなすぐに異世界に飛び立つとか世界を救うとか理解できるわけねーだろ普通!!

そして、飛び立つ異世界というのは他のライダーの世界という、メタ視点を否が応でも植え付けられうストーリー構造なわけで、そんなつもりで見ようと思わなくても「メタフィクション」として捉えざるを得なくなる――あの一話にはそんな意図が含まれていたような気が……する……?考えすぎか?

 

まぁ上記のような思惑はさておき、この作品は過去の平成仮面ライダーの世界どころか昭和ライダーの世界、シンケンジャーの世界にディケイドという仮面ライダーが登場していくことでディケイドを軸にそれぞれの世界が繋がる(正確にはそれぞれモチーフとしただけで異なる世界線)というメタフィクションになっています。

そして最終回は一話に話が繋がるという無限ループ構造

その中で、主人公であるディケイドは「世界の破壊者」と作中ではライダー達に敵視されています。そして、その主人公は映画でわかりますが、実は大ショッカーの大首領様という設定。平成仮面ライダー十周年という華々しい記念企画として立ち上げられた今作の主人公に対してどんな役割を負わせたいのか……

私はこの作品は本当に「繋げる」ということに重きをおいて作られたんだなぁと感じました。

 

前述のとおりにTV版だけだと無限ループ構造、つまり終わりがなく延々と繋がるこの作品は、平成仮面ライダーを脈々と未来に繋げていく橋渡しとしての役割が大きな作品で、逆に言えばソレ以上の意味はない作品だと感じました。

仮面ライダーは歴史があります。平成どころか昭和含めればもっと長く、そしてほとんど間隔が無く毎年続くドラマ作品というと、実はとんでもなく規格外の化物じみたシリーズだと思います。

少なくとも私は全然仮面ライダー詳しくないんで、だからこそそういう風に捉えていました。そして、十周年という節目に制作サイドが思うことはただ一つ、「二十周年、三十周年とこのシリーズを途切れること無く続けさせていかなければならない」という責任感だったと思うのです。

そのためにはどうすればいいか。

そう思った時に、飽きさせない、伝統を壊して新しい作品を世に送り出す必要がある(実際、電王とか割りと仮面ライダーらしさという伝統ぶち壊しまくってウケた作品なんじゃないんでしょうか?当時の熱狂ぶりが分からないけど)と当時は考えられたと思うのです。

だからこそ再構築の世界が生まれ、それらが一つに融合して新しい世界を作り出されようとするが、それを原典のライダーたちが反対するストーリーを描いた(と私は思ったんですけど……どうなんだ……)

鳴滝とかアレでしょ?二次創作を許さないオタクみたいなアレでしょ?

 

でも、あまりにも過去を破壊して、伝統をぶち破ってしまえば「それは仮面ライダーの破壊なんじゃないの?いわゆる原作レイプにじゃないの?」って反対派の声が出てくる。その声にただ従えば、作品は硬直してどんどんつまらなくなってしまう。それが続けば、仮面ライダーはなくなってしまう。

それでいいのか。続けていかなきゃ、仮面ライダーそのものが人々の中になくなってしまう。

どんどん新しくなっていくことは成長だと言えないのか。仮面ライダーが出るならそれは『仮面ライダー』だし、これからもそういう新しい『仮面ライダー』を作っていくぞ!そして、もっとずっと長くこのシリーズを続けていくんだ!それが過去の作品に対して誠実にあるということなんだ!!

そうやって――W、そしてもっと先の『今』の仮面ライダーの未来へと無限に繋げていきたい。

 

なんかそんな制作陣の気概?というか、目標発表と言うか、歌舞伎の襲名披露見てるみたいな……

そんな気持ちで私はこの作品を見てました。正直、ただそれだけのためにディケイドという存在は作られたというか、それだけのキャラ造形しか意図的に与えられなかったように感じました。

十周年という存在を祝うためだけなので、彼らには本当に彼らだけの独立性を保てる物語がない。他のライダーたちがいなければ存在できない。しかも、TV版は完結をあえて与えられず物語は失われかけた(映画版で夏海に殺されることで逆に主人公の死という完結が与えられて復活したと私は解釈した)。

それら全てを逆手に取って「ストーリー」を作る。そういった点で非常に刺激的な作品だったな、と思いました。

 

その他もろもろ

考察っぽい話はここまでにして、キャラとしてはユウスケが一番お気に入りでした。あの世界で一番まっすぐで正義の味方っぽいし、あと可愛い。てか、コイツがいないと士の性格的に色々詰んでたのでは……?と思う……海東大樹もちょっと変な人だし……

そういや、海東大樹は何だったんですかね?

実際見てるときは「海東大樹の情緒って何!?!?!」ってずっと思ってたんだけど、実際、彼は一体どういうキャラクターだったんだろう。

少しだけ思うのは、ディケイドにトドメを刺す本来の役割がディエンドだったんじゃないかな?と思うんです。劇場版では夏海がキバーラになって代行しただけで。

士に対して仲間意識を持ってしまい、また逆に「ディケイドがいなければディケイドを討つというディエンドの存在も成立しない」という依存関係ゆえにディエンドはディケイドを討てず、むしろ守ってしまった。的な…??

まぁそれはともかくとして後半怒涛の謎の執着の描写が入ったのは、そこらへんの根拠付けだったのかな……とか……??

 

あとそれぞれの話なんだけど、やっぱ電王回面白かったな~と思いました。

ていうか、電王が出てくると一気にギャグ時空になるよねディケイドが。電王の持ってる雰囲気強いなぁ…と思いました。あと、ディケイド見直した後にもっかい鬼ヶ島の戦艦見直したんだけど、絶対に本編のディケイドがしないだろう動きをモモタロスが入ったディケイドがやっちゃうのが面白かったな。

あと気になったのは龍騎かな。仮面ライダー裁判って狂気に満ち溢れすぎでは……?

本来の龍騎もあんな感じでライダー同士でバトルロワイヤルしてめっちゃドロドロらしいですね。殺人鬼の仮面ライダー出てくるって聞いたし!ちょっと気になるな~~って思いました。

他に気になったのはシンケンジャーかも。松坂桃李が初々しい!シンケンジャーに出てるのは知ってた(友人が非常に好きなので)んですが、今度戦隊に手を出すときはシンケンジャーからいっちゃおうかな~って思いました。

 

多分大体見ながら思ってたのはこんな感じだったと思う。

でもさぁ、なんかこう……うまいこと中身が分かるようでわかってないというか、もどかしさがあるなぁ…と思いました。多分これが狙い通りなんだろうな……

本当はもっとストーリー解釈についても結構書いてたんですけど、書きながら整合性の無さが目についたので削除してしまいました。またディケイド見直したらそういう記事書こうかな、と思います。

ちなみに、現段階で既にWも見終わって今オーズで見てるので、このままWの記事も作っちゃお~と思います!

でもWはオーズとのコラボ劇場版で最終回後の話があるらしいから、そこまで見てからかな!